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不自由なのが芸術 [雑感]

ああしんどい( ̄◇ ̄;)
本格的な芸術論
めっちゃ長く書いたのに〜
サーバーエラーで跡形もなく
消えてしまった…
念のために下書き保存を押したのに
それでサーバーエラー
です。
これからは
一旦どこかにコピペするしかないです( ;∀;)
悲しい悲し過ぎる〜。

すごく短くまとめます。
悲しいので。

芸術というのは制限の中で生まれるものだと
言うことです。
俳句なら17文字と季語という
非常に厳しいルールがあり
そのルールの中で作者は作品、つまり
芸術に昇華させるためにもがく
わけです。
その作者の苦悩に鑑賞者が辿りついた時に
芸術が生まれる。

全ての芸術には
暗黙のルールがあります。
不自由さが。
音楽にも絵画にも
強い表現上の制約があるわけです
でもその制約の中で、表すから芸術になるんです。

小説で、仮に「友情」ということを表したいと
したら最低限のルールとして
何の許可もなく身近な現実をノンフィクションで書いたら
いけません。プライバシーの問題がありますし。
いや、もうその現実に頼った時点で、法律を離れて芸術じゃないです。
作者は制限の中で必死に作りあげてはいないからです。
ただの現実垂れ流しです。
同じ理由で音楽で
無音やキーキー叫び声も
芸術ではないです。

数学や物理学でも
数式で表現しなければならないという大きな足枷が
あるわけです。でもその中で苦悩してできた
数式は本当に美しいです。
これは私の定義上芸術と言えます(*^ω^*)

愛知県は
天皇陛下の写真を燃やして
灰を踏みつける
これが芸術だと言うのですが
天皇の写真じゃなくても
誰の写真でも
これは芸術の最低限のルールを守ってないですし
誰が考えてもあかんでしょ(-_-;)
芸術ではないです。

何をやってもいい、自由なのが芸術
これが根本的な誤りで
芸術はがんじがらめの不自由さの中で
生まれる創作なんです。

同じ理由で全く関係ないですが
私は自由英作文よりも
和文英訳の方が好きです。
自由英作文…意見を自由に英語で書く
だからどうしたのん、意見なら
日本語で教えて、って私は思うんです。
(↑英語の試験だから当たり前やろ
物理屋何言うとるねん!読者より)

それよりも和文英訳には
書いた生徒の苦悩や工夫が現れるんです。
日本語と英語という
全く違った言語の中で
どうやって、日本語の味わい、風味みたいなもの
を表現するか
その苦悩や工夫が伝わってくる、これはもはや芸術だと
言っていいわけです。
(いや、だから物理屋、これは英語の試験やて!読者より)

だから私は和文英訳の採点が大好きです。
あ、芸術作品としてのですが。
なーんの工夫もない、字面を中学英語で減点さえされなきゃ
いいみたいな解答に何の美しさも感じないですが。
(英語の試験やからそれでええやろ!読者より)
稀に本気で英訳と闘ってくれてる生徒もいるわけです。
それは解答というよりもはや芸術です。
なるほどね…ここの日本語をこう解釈して
こういう英語で表してきたのか、とか
英語の細かいニュアンスの表現と日本語の表現を
どう捉えたか
そういうのが伝わってくる答案というのがあるんです。
その思考に触れた時、私の中で芸術が生まれるんです。
(だから、これは英語の試験!読者より)
まあ点数云々という陳腐な問題を離れて
よく出来た和文英訳には感動します。

ノーベル文学賞が三島由紀夫ではなく
川端康成にいったのは
訳者の圧倒的な差があったと思います。
サイデンステッカーさんの「雪国」の訳は本当に
素晴らしい。芸術です。
私は初めて読んだ時、新しい定理を見つけた時より
感動しました!
(どういう基準やねん、読者より)
これは、こう訳せないよ〜って
もう私の芸術性を遥かに超えておりました。
そこから私も色々勉強したのですが
今、見てもあれは凄いわ…すごさがわかるくらい
勉強を進めて欲しいですが(笑)

あ、川端康成自身もすごく感動して
ノーベル賞を取れたのはサイデンステッカーさんの
お陰だと言って
賞金の半分をあげてます。
まあ…それが当然くらいの凄さです。

こういうのを芸術と言うんで
愛知県さんの選んだものって
あまりに陳腐で
思想、政治問題を離れても
芸術作品ではないです。
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