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第1講 ソクラテスの登場~後編~ [哲学概論]

ギリシアはこの頃
ポリスという多数の都市国家がひしめきあっていました。
その中の中心都市アテネでは直接民主制による
民主政治が発達していました。
直接民主制ではいかに相手を説得して同意を得るか
議論で相手を打ち負かすか
というのが大事になってきます。

そんな中、相手の政治家を議論で打ち負かすために
知識や弁論術を駆使して金銭の報酬を得るソフィストと呼ばれる
専門家が現れ、それを雇う政治家が増えてきました。
(アテネは自治国家なので
本当は政治家という表現は適切ではありません。
デーマゴーゴスと言います。)
需要が増えれば供給も増えるということで
アテネの街には議論で相手を完膚無きまでに叩きのめす
ソフィストが増え、中には悪質に市民を騙し金銭を得るものまで
現れたんです。

ここで…
少し話は逸れますが
何故ソフィストはそんなに議論に勝てるのでしょうか?
これには種があります。
それは徹底的な相対主義です。
自然哲学者は自然を対象にして万物の始源(アルケー)という普遍的な
真理を追究したのに対して、ソフィストは人間の作りだしたもの(ノモス)
簡単に言えば法律や制度を対象にしていて
人間なんて色々だから考え方も色々あり、ポリスによって法律や制度が
違ってもいいし、自然哲学者のいう絶対的な真理なんてあるはずがない
と主張したのです。有名なソフィストにプロタゴラスがいますが
彼が言った「人間は万物の尺度である」ということにソフィストの考え、
相対主義が集約されています。

相対主義が議論に勝つというのは当たり前なのです。
まず自分の主張はしません。真実は見方によって色々ですから。
ただ相手の主張を聞いてその考え方を相対主義で
批判するのです。
物事には多面性があるので何でも見かたを
変えれば色々批判ができるわけで
そればかりをするのがソフィストなんです。
現代の政治家でもそういう人はいます(笑)

思春期の青年もそうですね。
例えば刺青を入れたいと子供が言ってきたとします。
大抵の親は反対します。
それは日本の文化の中では社会人として
色々と問題が起きるからです。
子供が生きていくのに不自由するかもしれないと思うからです。
でも子供にはそれはわかりません。
そういうときに、何処かの国では当たり前だとか
どうして刺青は良くないのか、刺青が悪いという価値観の根拠はなんだとか
わけのわからない反論をするのです。思春期までは。
反論だけなら誰でもできるのです。
全ては相対的ですから何でも理由は言えます。
しかし、逆に本人が刺青を入れる正当性、正当な理由というのは一切
言わないですし、言えないのです。
仮にそれを主張すれば
それには同じような反論が無数にできてしまうからです。
まあ誰もがそういう時期を経て大人になるのです。
大人になりきれない大人も沢山いますが
大抵の人は相対主義に何の意味の無いことにある時、気がつきます。

話を元に戻します。
そうした空理空論を並べ、人を騙して金銭を得るソフィストがアテネの
に蔓延するようになるのです。そしてまたそういうソフィストに影響を受けた
政治家は無駄に民を煽るようになりアテネの誇る
直接民主制は完全な衆愚政治と没落していったのです。
国民の人気ばかり気にして、本来嫌でもやらなければならない政策をやれない
という現代民主主義と同じようなものです。

このようなアテネの危機に現れたのがソクラテスなのです[ぴかぴか(新しい)]

ソフィストに扇動されているアテネ市民は
名誉や金ばかりを追いかける完全な個人主義に陥ってしまっていました。
ソクラテスはそんな現状を悲しみ
金や名誉ではなく
アテネ市民として誇り高い善き生き方をしてほしいと願い、立ちあがるのです。

ソクラテスはまずソフィストから洗脳されているアテネ市民を解放するためには
ソフィストが使う相対主義に対して
どんな反論にも負けない絶対的な真理を見つける必要があると考えました。
そして、自分の主張はしないソフィストに対しては
問答法という相手の論理的な欠点をつく問を繰り返す方法で
議論によって、公衆の面前でソフィストの無知を暴いていくということを始めました。
全てはアテネ市民が誇り高きアテネ市民となるために。
しかしそれによってやがてソクラテスは恨みを買い、アテネの市民裁判によって
死刑を言い渡されてしまいます。
ソクラテスの自らの信念を全うした生き方に感化された
プラトンは自分も哲学者になることを決め
ソクラテスの考えを広めていくことに尽力しました。

この辺の詳しいお話、
またソクラテスがたどり着いた絶対的な真理とは何か
について次回は書いていきたい思います。

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月のカケラ

昔、東大の大学院入試でお世話になった時から
思っていましたが
先生は天才であるにも関わらず人間的にしっかりとしておられます。研究者をしているとわかりますが、頭のいい人というのは、オブラートに包んで表現すれば非常に変わり者が多いと思います。しかし、先生は非常に常識的といいましょうか人間的にも優れておられると思います。それは昔自分でおっしゃっていた中学までは文系科目の方が圧倒的に得意だったからではないかと私は思います。様々なことに造詣が深いことが人間性の厚みとなって現れていると思います。時々、先生に教わった当時の予備校の仲間と会うことがあります。この夏にも会います。私は理研におりますが、皆それぞれの場所で活躍して切磋琢磨しております。その席での中心話題は先生の話です。ブログの話もします。先生は雑談の中で私達に様々な研究の種を与えてくださいました。皆勉強や研究をすればするほど、先生の先見の明に驚かされてただただ感心するばかりです。先生の言われていたことをそのまま研究しているものもおります(笑)。私は先生のような幅広い知識と教養を持ち合わせることは能力的に無理だと思いますが、自分の専門分野を究めて少しでも先生の背中を追いかけて行こうと思っています。夏期講習、お忙しそうですね。お体に気をつけて先生の素晴らしさを周りの生徒さんに分けてあげてください。それはお金では買えない本当に大きな財産だと思います。

追伸)
時々皆で集まった時に話題になるのですが、いつの日が私達に特別講義をしていただけないでしょうか。
by 月のカケラ (2014-07-10 09:45) 

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